生い立ち(2)

大学(学部)時代

高校を卒業後、無事に大学に合格し、上京して独り暮らしを始めることになったわけですが、どうにも故郷の暮らしが賑やかすぎたのか、すっかり心細くなってしまいました。

「燃え尽き症候群」とでもいうか、とにかく中学・高校のほとんどを、勉強に費やしていたので、(受験勉強をしていたというよりは、学校の勉強が好きで、それで学力をつけていったというところです)大学入試で疲れ果ててしまったようです。

それに比して、大学の周囲の新入生は実に楽しそうで、勉強ばかりして過ごしてきた自分が敵う相手ではとてもないなぁと、非常に落ち込んでいました。

でも、2年生になって、法学部の専門科目が始まったあたりから、徐々に気力が戻ってきて、毎日授業に出て、一生懸命話を聞くようになりました。

しかし、法学部の授業はむずかしい!わからない!

さらに覚える分量が膨大で、好き好んで勉強するようなものではありません。
それでも、なんとか頑張ってはいたのですが…

じつは、小学生のころから父が株式投資にはまっており、毎日短波ラジオを聴きながら、「株が下がった、株が下がった」と愚痴ばかりこぼすのを横目にみて育ったので、わたしは「株式」という言葉や、ビジネスや、金融の話が大嫌いだったのです。
ああいうのはバクチみたいなもので、まっとうな人間は実直に働かないといけません。

…で、それが言い訳になるわけではないのですが、法制史や法社会学といった基礎法、公法系はなんとか理解できたものの、とにかく民法(契約法・債権法)と商法ができない!
「株式」と聞くと、身体が拒絶反応を起こすんですもの。

もともと学校の先生、とくに歴史の先生になりたかったはずなのに、どこでどのように道を間違えたのか…

この頃、動機は忘れてしまったのですが、我妻栄、川島武宜、団藤重光といった、偉大な法学者の自伝を読む機会がありました。
そうしたら、驚いたのは、歴史に名を遺したこれらの諸先生方は、全員が全員、法律が好きで好きで仕方がない、というわけではなかったという事実です。

むしろ、「現在、法律が嫌いで仕方がない法学部生に伝えたい。そんな若い時から、法律が好きで好きでしょうがない、なんて奴は、どうせ大したことがないから、安心しなさい」
とまで書いてあり、これには非常に安堵した覚えがあります。

学者を目指すようになったのは、このあたりからです。
法律の研究への興味は、率直にいえばあまりなかったのですが、もともと学校の先生になりたかったことがあり、この糞つまらない法律学の中に、なにか自分なりに面白い観点をみつけて、それを学生のみなさんに伝える仕事がしたいなぁ、と感じるようになったのが、いちばんの理由です。

しかし、なにか面白い観点はみつからないものか、暗中模索の日々はまだまだ続きます。

大学(法科大学院)時代

法科大学院構想が現れ始めたのは、そんなときでした。
この頃、私は法社会学に興味を持っていました。
簡単にいえば、社会と法との関係について、洞察する学問です。

川島教授の「日本社会の家族的構成」「日本人の法意識」に感銘を受けた私は、歴史や風土と関連付けて法を論じるには、この法社会学しかない!と決心したわけです。

しかし、東大のダニエル・フット教授のゼミを履修した際に、ある疑問が沸きました。
日本社会における法のあり方を論じるには、日本社会における法の担い手、つまり、弁護士・検事・裁判官としての実務経験が少なくとも必要になるのではないか、と。

別に、法社会学の学者にとり、すべてそのような実務経験が必要になるわけではありません。
たとえば、現在の法社会学で大きな潮流を形成しつつあるアメリカ流の「法と経済学」の手法を応用した社会学的研究などを行うに際して、法律の知識は直接関係してきません。

ですが、特段、ミクロ経済学やゲーム理論の造詣が深いわけでもない(むしろ苦手な)自分にとっては、この手法が身に付き、使いこなせるとはとても思えなかったのです。

そんな中、法科大学院が新設され、東大では、今後、実定法・基礎法を問わず、法科大学院を経由してから法学の研究者になるように、との方針が定められました。
(その後、基礎法ではこの方針がどこかに吹き飛んでいきましたが…)

当時の私にとって、このような方針の策定は、まさに渡りに舟といったところでした。
両親からは、弁護士になるよう強く勧められていたので、法科大学院を出て、司法試験に合格するまでは、なんとか学費も出してくれるだろうという、(虫のいい話ではありますが、個人的にはかなり重要な)事情も手伝いました。

現在、いろいろ言われている法科大学院ですが、設立の理念・構想自体は、すばらしいものであったと思います。
残念なのは、司法試験の合格率が低く、学生の側も司法試験の合格ばかりに目がいってしまい、教員までそのことに引っ張られ、じっくり学問を学ぶ余裕がないことにあるのではないでしょうか。

少なくとも、わたしが経験した初年度の法科大学院は、(司法試験の高い合格率が保障されていたこともあってか)のんびりと学問に打ち込むことのできる環境でした。

上で、ビジネスや金融の話が大嫌いだと書きましたが、あまり実利的な話と結びつくと、学問もきな臭くなってきます。
学問の真価は、実利を離れて、何が真理であり、どうするのが世の中のためになるか、純粋にそのことだけを考えるところにあると思います。
(研究者によっては、「世の中のため」という目的さえ、毛嫌いする人がいますが、個人的には、この目的は非常に重要だと考えています。)

そんな中で出会ったのが、行政法学です。

もともと行政法は大の苦手で、学部3年で初めて受講したときにはまったく理解できず、期末試験も事前放棄したという体たらくでした。
学部4年で再び挑戦も、また挫折…
法科大学院設立の関係で、もう1年、学部に在籍したので、そのときに聴いた交告尚史教授の行政法の講義で、ようやくなんとなく理解できるようになったというありさまです。
そう考えると、のちに交告先生の弟子になったことには、深い縁を感じますね。

そんなわけで、苦手意識の塊であった行政法でしたが、法科大学院の「上級行政法」は違いました。
担当は宇賀克也先生で、実にスマートに淡々と授業を進めていくのですが、取り扱う判例が、薬害や公害、消費者被害、被爆者援護法など、そのときそのときの社会問題に深く関係するものばかりだったからです。
とにかく宇賀先生が大好きで、友人と、「宇賀先生が最高裁判事になったら、世の中よくなるのに」などと語り合ったことを覚えています。
十数年後に、その希望が現実のものになったときは、本当に驚きました。

話を戻すと、ひょっとして、社会と法との関係を考察するのであれば、この行政法学でもいいんじゃないか、と考えたのが、法科大学院の既修2年目、24歳のときです。

法科大学院の2年目は、研究論文の執筆に費やされましたが、それは研究への考え方をごらんください。

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