研究への考え方

研究関心

わたしの専門的な関心は、民営化・民間委託が実施された後に行政が担うべき役割について、ドイツ公法学の「保障行政(Gewährleistungsverwaltung)」という視点から論じることにあります。

これまで公的部門が担ってきた任務を民間に委ねてしまえば、ともすると、公的部門の役割は終わってしまいそうにも思われます。
しかし、決してそうではありません。公的部門には、民間部門がしっかりと役割を果たすことができるように、指示・監視を及ぼすという大切な役割が残されるのです。これを、ドイツ公法学は国家行政の「保障責任(Gewährleistungsverantwortung)」と呼んでいます。保障責任を全うするための行政活動が、保障行政です。

もちろん民間部門は、これまでの「行政の論理」(公益を確保することを最優先として、採算を度外視することも許容される行動原理)ではなく、「民間の市場経済の論理」(採算をとり、収益を上げることを至上命題とする行動原理)によって活動しますから、公的部門による指示・監視の主眼は、情報の提供(行政指導)や補助金・税制優遇措置などを通じて、この「民間の市場経済の論理」を規整・制御することに置かれます。ですから、市場と法との関係も、わたしの主要な研究関心です。

研究の世界で

1.行政法の世界へ

行政法の研究に興味を持ったのは、法科大学院で宇賀克也先生の「上級行政法」の授業を聴いたことがきっかけでした。現実に起きた事件について詳しく勉強するうちに、行政法学こそ、現代国家が解決しなければならない社会問題に対し、幅広い領域において、もっとも正面から向き合っている法分野だと感じたからです。

そこで、法科大学院の最終年次には、山本隆司先生の下で研究論文を執筆することにしました。そこでテーマに選んだのが、「公法人の倒産能力」です。最初は、自治体の破綻について、行政法学の立場から研究しようと考えたのですが、当時は平成17(2005)年で、あの夕張市が財政再建団体に指定される前年でした。山本先生は、おそらく少し無謀かなと思われたのでしょう。ずいぶん頭を抱えて悩まれてから、きみが関心のあることを研究するのが一番だから、どうかやってみなさいと、温かく後押しをしてくださいました。

研究論文は、ドイツの公法人論をしらべた上で、倒産法(Insolvenzordnung)12条の解釈および関連判例を分析するという方針で書き進めました。わたしは法科大学院初年度の学生で、小早川先生も山本先生も、「専門の研究者養成コースの学生が提出する修士論文と同水準は求めないが、それに匹敵するものは書いてみなさい」とおっしゃっていましたが、実際に書きあがったものは、非常に覚束ない出来でした。それでも、ドイツ法のコンメンタールや論文、それに判例と格闘したのは、非常に良い経験になりました。特に興味深かったのは、倒産手続を禁ずる法律の明文がない場合でも、基本法5条(放送の自由)を根拠に、公法上の放送営造物に関する倒産可能性を否定したBVerfGE 89, 144でした。

公法人というのは、わが国では、さしあたり国、自治体、公共組合、特殊法人、独立行政法人(および国立大学法人)がこれに該当します。かつては公社(国鉄、電電公社、専売公社)もこれに含まれていました。研究の結果たどりついた結論は、「公共の利益のために破産によって解散させてはならないと考えられる公法人に関しては、倒産が禁じられる。場合によっては、国や自治体が財政支援を行って、事業を存続させなければならない。この世からなくなってはいけない事業というのは確かに存在しており、国や自治体は、その存続に腐心しなければならない」という、循環論法でした。

今になって思えば、この経験が、保障国家の考え方と出会うきっかけだったわけです。

2.助教生活のスタート

ただ、試行錯誤で研究にのめりこみすぎたのか、不摂生で身体をこわしてしまい、法科大学院を修了した平成18年3月から、すこし療養生活を強いられることになりました。この間、大学院での指導教官になって頂いた交告尚史先生は、多くの面でわたしの健康に配慮してくださいました。そして翌年度から、東京大学助手(組織改編により、助教と名称変更)に採用され、本格的な研究生活をスタートすることになりました。助手なんて、仰ぎ見るような大先生になる人たちが就職するもので、自分には縁がないものと思っていたので、このときの感激は忘れられません。

助教は、3年間の任期中に「助教論文」というものを仕上げなくてはなりません。そのテーマを決めたのは、交告先生との食事中の会話がきっかけでした。通常は助教の2年目の途中くらいでテーマを決めるのですが、自分の場合は健康面の心配があったので、採用時にはすでにテーマを決めておいたほうが良い、とのことでした。当時、出たばかりの最高裁判決(最判平成19年1月25日民集61巻1号1頁)を念頭に、民間委託がなされたときの官民の損害賠償責任の分担、というテーマに挑んでみよう、との方針になったわけです。この問題について、交告先生が以前に論文を書かれていたことも関係しました。

研究をするにはある程度の資金が要るだろう、とのことで、先輩の研究者の方にすすめられて、文科省の科研費や民間の財団に助成金を申し込むことにしました。しかし、申請の際には、研究計画とともに、なにか業績を添付する必要があります。ですが、駆け出しの研究者に業績などあるはずもなく、先述の研究論文などは未公表の論文であるし、内容的にも稚拙で相手にしてもらえないだろうと考えていました。実際、科研費もふくめて、ほとんどの財団の選考には落ちてしまいました。

ところが、村田学術振興財団から、わたしの研究計画に対して援助を頂くことになったのです。駆け出しの研究者に対して、こんな巨額の資金援助をしてくださったその心意気をありがたく感じたのと同時に、初めて自分の業績が認められた気がして、とても嬉しかったのを覚えています。

3.試行錯誤の毎日

こうして3年間の助教生活は、順風満帆に船出しました。積年の課題であった司法試験にも合格して、1年目は幅広く行政法の研究文献を読みながら、気楽に過ごしました。助教の2年目になると、いよいよ本格的に論文執筆の準備を始めなければなりません。しかし、公私協働における損害賠償責任の分担というテーマは、すでに松塚晋輔先生がドイツの学説・判例を丹念に分析された『民営化の責任論』を公表されていたこともあり、学界では、おなじことをしても仕方がない、という雰囲気がありました。そこで、もう少し理論的な根幹の部分にある考え方を詰めていきながら、自分の視点でこの問題に挑戦してみようと考えました。

ここで大きなヒントになったのが、当時刊行中であった『ドイツ行政法の基礎』第一巻に掲載されていたヘルムート・シュルツェ‐フィーリッツの論文「任務引き受けの基本方式」です。これは、規制行政、給付行政といった高権的な行政活動から始まり、行政の市場参加、情報提供、誘導など、現代の幅広い行政活動を巨視的かつ包括的に分析した論文で、いわば行政法総論のドイツにおける先端的理解を提示した刺激的な著作でした。わたしは、この論文を交告先生と一緒に読み解きながら、次第にドイツ行政法学の現在の姿を理解していきました。今では多くの弟子を抱えて、多忙な毎日を送っておられる交告先生ですが、その最初の弟子であったからこそ、このようなきめ細かい指導をして頂いたと、感謝に堪えません。

その後、イヴォ・アッペル、ハンス‐クリスティアン・レール、ハンス‐ハインリッヒ・トゥルーテ、アンドレアス・フォスクーレ、ヴォルフガング・ホフマン‐リーム、グンナー・フォルケ・シュッペルトといったドイツ公法学を代表する研究者の「責任配分(Verantwortungsteilung)」に関する論文を精読して、理解することに努めました。アッペル論文は山本先生と、レール論文は交告先生の指導を受けて、ゼミの機会に読み進めていきました。最初は非常に貧弱であったドイツ語の読解力も、次第に上達していきました。それもすべて、辛抱強く成長を見守ってくださった先生方のおかげだと思います。

しかし、比較的順調であった研究生活は、ここで大きな壁に当たることになります。まずレール論文は、「責任(Verantwortung)」なる概念を法学に導入すること自体に厳しい非難を加えるものでした。「責任配分」を研究しようとしているのに、そんなことを言われても…というのが、本音でした。ホフマン‐リームが盛んに用いている「規整された自己規整(regulierte Selbstregulierung)」という耳慣れない概念の意味もわかりません。そして厄介だったのが、論者によって「責任」の分類が異なっていることです。ホフマン‐リームが用いている「遂行責任」「保障責任」「捕捉責任」がいちばん支持を集めていることは判明してきましたが、シュッペルト、トゥルーテなど、他の有力な論者が、違う分類法を用いているので、これらをどのように統合的に理解すべきか、困り果ててしまいました。

最大の難関は、トゥルーテの論文でした。時期的にレール論文の直後に書かれたもので、「責任配分」概念やその他の公私協働にかかわる重要なヒントを与えてくれる論文であることは確かであったのですが、文章や言い回しが非常に難解で、すべて日本語に逐語訳しても、なにを言わんとしているのかまったく意味不明であり、どうしようかほとんどノイローゼになりながら、数か月を過ごすことになります。この時点では、もういざとなったらシュルツェ‐フィーリッツの論文をそれらしくまとめて、何らかの研究成果として提出するしかないかな、とまで考えました。

4.転機

そんな中、交告先生から、このたび若手研究者が国家学会雑誌に「学界展望」の題名で外国文献の書評を掲載する機会があるので、なにか良い本を探しておきなさい、との指示を受けました。助教の2年目も年度末にさしかかっており、書評に何か月も時間を割く余裕はないのにと、渋々引き受けたのですが、このとき、ふと目に留まったのが、国際書房の新刊案内に載っていた、カイ・ヴェヒターの『保障国家における行政法』でした。保障行政とか保障国家の考え方自体は、シュルツェ‐フィーリッツの論文でたびたび目にしており、これ自体重要な考え方であることは何となくわかっていました。しかし、この時点では、研究テーマはあくまで公私協働における損害賠償責任の分担、という域を出ていませんでした。

シュルツェ‐フィーリッツの論文の中では、保障行政とは市場経済の制御のために用いられる行政作用であり、その適用領域は非常に幅広い、ということが紹介されていました。しかし、民営化・民間委託との関係についての論述は抽象的で、具体的なイメージが掴めずにいました。ところがヴェヒターによると、保障行政とは、民営化・民間委託が行われた際に私的アクターの任務遂行がうまくいかなくなった局面を想定して、たとえば継続性、平等性、適応性といった公共の利益の確保を図るための行政作用であるという。考え方の根底には、フランス公役務の発想があるようです。特に興味を引いたのは、鉄道や郵便の民営化が行われた後にドイツでなされた立法的な手当ての数々でした。

そういえば『私人による行政』で有名な米丸恒治先生も、以前に学会シンポジウムで同じような発言をされていたな、と思い出しました。さらにヴェヒターを読み進めていくと、任務の継続性の危機は私的アクターの経営破綻によっても引き起こされる、という記述に突き当たりました。まるで地球の裏側で旧い友人に出会ったような感覚!なんと、自分でも黒歴史になりかけていた「公法人の倒産能力」で思索を巡らせていた内容こそ、まさに保障行政の中核的部分だったのでした。あの法科大学院時代に挑んだ突拍子もないテーマが、こんなところで生きるとは…

この論文に巡り合ったのも何かの縁だと感じたわたしは、もう何を言われても良いから、思い切って保障行政の考え方を研究論文の中心に据えることにしました。損害賠償責任の分担は、考えてみれば保障責任のひとつの反映であるわけです。ちょうど、この時期に助教の3年目に突入したのですが、ようやく苦闘してきたトゥルーテの論文についても、「距離(Distanz)」の視点を軸に、霧が晴れるように理解できるようになってきました。ただ結局、助教論文の完成・公表の時期までには、この理解に確固とした自信を抱くことができなかったので、トゥルーテ論文の紹介、といったかたちでお茶を濁しています。

5.今後に向けて

よく、研究者は最初に取り組んだテーマと一生付き合っていかなければならない、といわれます。また、最初に公表する論文の重要性については、言うまでもありません。多大な重圧の中で、もがき苦しみ、偶然の連続が重なった結果、思わぬ「金の鉱脈」に出会うことができたのは、幸運中の幸運であったといえます。これでいくらか運を使い果たしたかな、とは思います。とても守備範囲の広い議論であるため、それまでの研究成果を惜しみなく投入したことで、論文はだいぶ大部になってしまいました。言いたいことが多岐にわたってしまったので、理解が困難になってしまった面もあるかもしれません。今はただ、こうして出会った保障国家の理論を一人でも多くの方に理解して頂くために、尽力していこうと考えています。

研究手法

研究手法としては、まず、具体的な問題解決の事例を映し出している判例(特に地裁判決)の評釈を通じて、現実の行政がいかなる問題に直面しているか正面から向き合い、地に足の着いた研究を進めていこうと考えています。具体的にいかなる分野で行政法学の知見が必要とされているのか、その時々の時勢や潮流にふりまわされることなく、じっくりと考えていく所存です。

しかし、判例研究だけでは、事柄の性質上、裁判の場に現れにくい問題について、考察が疎かになってしまいます。わたしは、行政法学の終極目的は、「よき行政」の実現のために、行政活動を(法的な側面から)いかに秩序付けていくかにあると考えています。この目的を達成するのは、決して容易なことではありません。法律、政令、省令、通達、告示、ガイドライン、条例など、行政活動を制御する様々な法規範に目を向けなくてはなりません。行政実態に関する洞察も不可欠です。現実の政治、経済、社会のありかたにも、目をそむけてはならないでしょう。大きな課題ですが、わたしはライフワークとして、この課題に取り組んでいきたいと思います。

わが国の行政のありかたを相対化して、冷静に見つめ直すという意味で、比較法研究は欠かせません。わたしは、わが国の行政法学に最も影響を与えてきたドイツの行政法学を主に参照しています。上述の保障行政の理論にみられるように、ドイツ公法学は、行政学、経済学、社会学など、隣接社会科学と十分に連携しながら、さらにはヨーロッパ統合の中で、これまでの「国家」の枠組みの揺らぎとも直面しながら、真摯に概念を構築し、現実を見据えた実践的な法学の体系をかたちづくっています。わたしは、ドイツ公法学のこうした姿勢に深い敬意を表して、わが国の公法学に生かせるヒントはないか、探っていく方針です。